第22回三河湾チャリティー100km歩け歩け大会(2017)感想

三河湾チャリティー100km歩け歩け大会への参加。 ~ 感想文は、振り返りと記録を兼ねて… (長文御免)~
ゼッケン番号:1000

始まりは、昨年の秋のお友達のこの大会参加の Facebook 投稿から…。

100km 歩け歩け大会なんてのがあるんだ…。
三河といえば、自分の生まれ育った故郷。
ついつい「そこ、自分の地元、来年はご一緒しましょう!」と、その時は、どんなに大変なことが待ち受けてるとも知らず、
気軽にコメントしてしまったことから(笑)。

さておき、今年は、60歳を迎える年(還暦?(笑))。24, 42に続いて、3回目の厄年。干支も、5周回りきっての酉年年男。
昨年末~年初にかけて、腰椎椎間板ヘルニアを患い、健康診断を受ければ胃潰瘍と早期肺がんの疑い!?、
身体もかなりガタがきていて、厄難続き…。
ヘルニアの症状もほぼ治り、がんの疑いも晴れ、ホッとしているところに、先のお友達が、今年の大会への参加、
通算6回目のエントリーを決めたとのFacebook 投稿。

まだ走るとかの強い運動は、無理だけど、ただ歩くんなら自分にもできるかも?と思い
「参加してみようかな? 一緒に歩いてくれる? 」とコメントすると、「ぜひ、一緒に歩きましょう!」との速攻での返し…。(笑)

お友達が、参考書として、片川優子さんの「明日の朝、観覧車で。」
を紹介してくれたので、大会がどんなものか事前勉強してみる。
・まずは、夕方の観覧車まで。
・一緒に歩く参加者の助けと心の支え
・マッサージなどのボランティアをしてくれる人達の身体ケアと助言
・長い長い夜の孤独なひとり歩き
・歩きながら家族との関わり感謝を考える
・毎年どこかで雨、雨対策は必須
・シューズと靴下(替え、5本指)
・夜明けの観覧車まで辿りつけたら、めっけもの。
・沿道の人達の応援とサポートを力に、ゴールまで。
・感動、感激、感謝
なるほど、なるほど… 。

大会が近づいてくると、コースマップが郵送されてきた。
なんと! 実家の町内の交差点、沿道には自分の小中学校…。
ここまで、自分の地元を通らなくてもいいんだけどな…。
これじゃあ、実家に挨拶なしには、参加できないな…。と、実家を守る兄に、盆でも正月でもないけど、急遽帰省することを連絡。

大会前夜に、実家入りして備えるが、台風の直撃はないものの前線を刺激して終始大雨の予報。
大会ホームページをチェックするも、大雨くらいでは、中止する気は、さらさら無さそう。

母親から「こんな大雨でも、やるのか? 雨の中、カッパ着て、夜通し歩く! まぁ~アホらし! 気を付けなあかんぞ…」のお言葉。
おっしゃる通り (^_^;)。
兄嫁さんには、当日背負うリュックのチェックを受け
「こんな重いの背負って、100km歩く! 預けられんのか? もっと、軽くせなあかん!」のお叱り… 。
ご忠告に謙虚に従い、帰りの着替え、重いモバイルバッテリーなど歩行途中では使わなくてもなんとかなりそうなものは、
荷物を分けて、預けることにする。

大会当日の朝は、起きたら雨。
大会会場までは、早起きの2番目の兄に送って貰う。
とりあえず、事前勉強により、家族みんなを少しずつ巻き込んで、みんなの支えを感じながら、
それを励みに100kmを完歩することにした。

受付で、ゼッケンを貰ってビックリ。1000番!
お友達に、60歳、初の100km挑戦、ゼッケン1000番、これは間違いなく完歩!と、冷やかされる。
近くにいた参加者のお姉さんからも、いい番号ですね!と声をかけられる。
走りだしても、ゼッケンのおかげで、色々声をかけて戴く。これは、みんなに力を貰えるラッキーナンバーかも?

歩きだすと、ほどなく、奈良県からのご夫婦に声をかけられる。
(ひょっとしたら、こちらが、声をかけたのかも?(笑))。
全国各地で開催されている100kmの歩け歩け大会に参加しているという。
道々、楽しくお話しを聞きながら、2時間半。ここで、1回小休止。
経験上、10km, 2時間半に1回コンビニで小休止するのが、良いらしい。勉強になるね。

10kmを過ぎると、自分の小中学校区。
兄嫁さん、兄が、様子を見にきて、声かけ、お友達と一緒に写真撮りしてくれ、アミノ酸、飴などの支援物資を戴く。
まだまだ、始まったばかり、こんなところでへばってちゃいけないよね。
お友達いわく、昨年は、直線道路が長く続き退屈な区間だったそうだ。

今年は自分の田舎、田圃と畑しかないようだけど、あれがうちのお茶畑、実家はあの辺り、
あそこに見える山は、八ツ面山って言うんだ、雲母がたくさん取れて、キララ山って言う別名もあるんだよ、
あれが自分の小学校、これが中学校、ついでに子供時代の話を喋り続け、あっという間に通過し、最初のチェックポイントに。

この後、雨が強くなり、35km あたりからは、右足の付け根のややお尻側が痛みだす。
ヘルニアでの坐骨神経痛由来のものか、歩き方が悪いせいか? これを庇って、足攣りになってもいけないので、
念のために持参した漢方の芍薬甘草湯を早めに一服呑む。
しかし、歩き出しから、9時間、10時間、雨で空も早く暗くなり出すと、テンションも下がり気味。
ひたすら、40kmのチェックポイントに向かって黙々と歩く時間が続く。

第1目標のラグーナに着いた時は、既に暗くなっていて、雨の中、休憩スペースを少しかりて、ヘッドライトをリュックを出し装着。
隣りで休んでいる人に、「マッサージ待ちですか?」と聞くと、「いえ、リタイアバス待ちです。
いつもは、60kmくらいまでは大丈夫なんですけど、この雨と冷たさで、40kmで足がやられてしまいました。」とのこと。
やれやれ、まだまだ陽が暮れたばかり、これから陽が昇るまで、12時間…
止みそうにない雨の中、自分も何kmあたりまで、足が、心が折れずに、歩き続けられるかな? いやはや、前途多難。

夜中の行軍では、おでんが一番、お腹は冷やさない。
との教えに従って、52kmのチェックポイント手前のコンビニで、おでん(ゴボウ巻き、ダイコン)と、ピザ饅。

しかし、雨の中の夜の行軍は、幾つもの試練がやってくる。
雨水で溢れる道路を疾走する車に、大量の水はね、頭からの水かぶり3連発。
街灯がない夜道でのヘッドライトだけの歩行だと油断すると、すぐに路肩に溜まった水たまりに、ザブン。
靴の中が、ズブ濡れになる、気持ち悪い、足先が冷える。

35kmあたりから続いている右足の付け根の痛みも56kmあたりで更に増し、
途中で若い男の子(29歳)が痛くなってきたら、ロキソニン飲みます!
痛み止め飲まないと歩けなくなっちゃいますから!と言っていたのが思い出される。
そうまでして、歩くのか…と思ったが、今となっては、痛み止めを戴きたい気分。
患部を押さえながらの歩行に、限界に近くなってきたので、
マッサージは受けたくないと言う友達には申し訳ないが 「次の折り返しの61kmのチェックポイントでは、一度、マッサージを受け、
少し長めの休憩を取って、残りの40kmを新たに再スタートしたい。」旨を伝える。

61kmのチェックポイントでのマッサージで、痛みは取れることはなかったが、荷物を降ろし、靴を脱ぎ、横になり、
休憩が取れたことと、マッサージのお姉さんに、濡れてふやけた足をほっておくと豆ができたり、
皮が剥けたりで後が辛くなるので、靴下は履きかえた方が良いですよと助言され、
履きかえた靴下で、また気持ち良く、再スタートが切れた。
文句を言いたくなるのを堪え、終わるまであたたかく見守って待ってくれたお友達に、ごめなさい、ありがとう。

豊橋の街の中と思われる広い道路と歩道では、度々信号待ちがあったが、
路肩の柵に腰をかけ、痛めた足の付け根の臀部側をマッサージがてら、押し付けながら座り、足休めをする。
歩道橋は、手を使って登り進める。全てポジティブに考えることにする。そうでないと、やってられないので(笑)。

傍目には、ハロウィンも近いし、深夜のデスマーチ?と思われたに違いない…。

70km のチェックポイントでは、リタイア者を乗せる送迎バスが…。

思わず「弱音を吐く時には言ってね、いつでもリタイアバスに乗る心の準備はできてるよ」なんてことを、
ボソっと言ってみるが、お友達は、中々、弱音を吐きそうもない…。(笑)

「次のチェックポイントは、84kmだから、あと4時間くらいかな?」とお友達の声。
チェックポイントも、この先4時間もないのかと諦めて、痛みを少しでも逃す術を色々試し試しやってみる。
身体を左右にブレささない、身体を少し前傾にして腿膝の力は借りず、
倒れてくる身体を受け止めるように足を前に出す。これは、かなり効果的に、かつ割りと速足で歩くことができた。

76kmの臨時の休憩所で、チョコレートを貰い、足マッサージを受けながら、
途中で一緒になった、 別のお友達の全身マッサージが、終わるのを待つ。
まわりには、肩揉みして貰っている参加者もいた。
肩揉みには「おっ! 羨ましい~~ 自分もやって欲しい~~」と、心動かされた。(笑)

あと2時間も歩けば、ついに2度目の観覧車、84kmのチェックポイントが待っている。

夜明けの観覧車のはずが、まだ暗かった。
何故?と聞くと、例年より、開催時期が2週間くらい遅いせいらしい。
かなり、参加者がバラけて、チェックポイントの休憩所には誰もマッサージを受けいる参加者は無く、倒れ込むと、
そのまま痛いところを聞いてくれて、マッサージをしてくれた。
マッサージは、 冷えるから嫌とか言っていたお友達も、流石に倒れ込み、マッサージに身を任せることに。

待つこともなく、独り占めで、マッサージを受けられる解放感が、気を楽にしてくれ、本当にありがたかった。

84km からは、明るくなり始めた空の下、ゴールに向かって歩くのみ。
しかし、ここで、歴戦のお友達は、夜の雨の寒さで体調を崩してしまったようで
「もう同じペースで歩けないので、後はご自分のペースで、ゴールを目指して下さい。」

終始、毅然と弱音を吐かず、ギブアップしなかったこと。
疲れても足が痛くてもペースを落とすことなく歩き続けたことに感謝。
弱音を吐かれたら、すぐ便乗、ペースを落とされたら、ずるずる足が止まってしまったに違いない。
いつまでも近づかないゴールに嫌気がさしてギブアップしたに違いない。
何度も弱音を吐きたかった時間帯もあったろうに、弱音を吐かず、
ペースを落とさず引っ張り続けてくれたお友達に感謝しながら、まさかの独り歩き…。

夜も明けたので、実家の兄からメール
「今、どこら辺り?」「蒲郡駅前辺り」「明るくなってきたと思うから、折角だから景色も楽しんで、残り頑張って」
兄からのメールに、足元ばかり見て歩き続けていたことに気づかされ、景色を楽しむことに。

蒲郡市内は、土地勘があるので、地図とにらめっこしながら、
キョロキョロと歩いている場所を確認しながら、景色を楽しみ、気持ちに余裕もできた。兄貴、ありがとう。

90kmあたりのCoCo壱までくると、早朝から味噌汁を提供してくれていた。
これは、冷たい雨の中を歩く参加者のお腹を温め、心を温めてくれ、本当に助かりました。
おかわりも戴いちゃいました。「本当に、ありがとうございました。これで、後10km頑張れそうです。」

ゴールに向かって、再スタートしようとすると、スタートから10kmご一緒した奈良からのご夫婦に、笑顔で、声をかけられ、
また一緒に歩くことに。いゃ~あ、知った顔(前日に知り合ったばかりだけど)嬉しかった。

さすが、全国各地の大会にたくさん参加しているだけあって、まだまだ元気、旦那さん、速い速い。(笑)
ゴール間近の東幡豆の海岸に出ると、昔懐かしい、猿ヶ島、うさぎ島が見えた。
後で調べたら、もう20年も前に、観光船も廃止され、前島、沖島と名前も変えているようだった。
猿やうさぎは、どうなっちゃったんだろう?最後は、地元の三河湾の景気と、
この大会で、ご一緒した奈良からのご夫婦と一緒に、ゆとりを持って、ゴール。

なんだか、深夜のデスマーチが懐かしい。(笑)
油断してたら、ゴールの温泉で、さあ大変。
お風呂は、ゆったり楽しめたが、お風呂を上がると、身体中が、ガタピシガタピシ、着替えをするのも一苦労。
お弁当を戴いていると「台風が近づいています。交通機関の状況をご確認の上、お早目にお帰り下さい。」

慌てて、台風の大雨の中、無事逃げ帰りました。
帰りの電車で、睡魔に襲われ「あぁ寝てなかったのか…」(笑)
帰宅し、夕食後は、バタンキュウ。(死語?)

朝寝坊するくらい、ぐっすり寝られました。

感想文という形で、まわりの皆さんの存在、サポートと、それが自分にどんな力になったのかを
振り返る機会を与えてくれた主催者に感謝。
ありがとうございました。m(_ _)m



忘れてしまっていたもの!
ゼッケン番号:486

意気揚々と楽しく歩けていたのはつかの間、気が付けば友達は早々に足を痛めリタイヤし、過酷な一人旅が始まりました。

それでも体力だけはそれなりに自信があったので60kまでは、なんとか歩き続けることができましたが、
70k地点に向かう途中から、至る所に激痛があらわれました。

まず両足首が非常に痛く、足首で直接地面を歩いているような痛みが。また、左足の膝裏は悲鳴を上げ、
もう屈伸運動で伸ばすことが出来なくてなってしまい、かなりの時間を費やしていたので、
もうここまでかと思いながらも、歩みを止めない周りの人の姿を懸命に追い、
もがきながら70k地点に到着したのは残りわずか10分前。

辺りには歩みを止めリタイヤする多くの人が残っているのみでした。
次のチェックポイントである84k地点は14kも先。既に限界に達している足の状態を考えると
もう間に合うはずはありませんでしたが、まだ諦めたくなく、次の地点を目指して閉鎖時間の直前に出発しました。
後ろを振り返ってももう誰もいません。
時間切れ覚悟で出たとはいえ超スローペースのため、なかなか先へ進めません。

痛みと疲れで心身ともに参ってしまい、歩き始めてたった数キロのコンビニで立ち往生。
このまま終わってしまうのかな?
誘導警備員にリタイヤを告げている人を見かけたので、僕も意気消沈してしまい
一緒にリタイヤしようかなと心がかなりグラついてしまいました。

コンビニで水や食べ物をとるでもなく、ただボーッと店先に座り込んで完全に諦めモードに。
周りを見ると、同じような境遇の方々が座り込んだまま誰も動きません。
このまま終わるんだな。よく頑張った。足もケガしてるし仕方ない。と自分を精一杯慰めていました。

しばらくすると、リタイヤを告げる方々のゼッケンNoを読み上げる声が、仮設テントの方から聞こえてきます。
あ~っ、僕も伝えにいかないとと思った丁度その時、隣で座っていた女性が立ち上がり、また一人仮設テントへ向かっていきます。足を引きずりながら、1歩づつゆっくりと。
後ろからよく頑張ったね!と声お掛けてあげたくなりました。
しばらく眼で追っていると、女性は警備員の方と話しています。
リタイヤは告げてるんだな、と思ってましたが、何だか様子が変です。

指を指して方角を確認しています。えっ!何?!なんと、リタイヤを告げに行ったと思った女性は、
こ の先のルートを確認していたのです。
そして、ゆっくりな歩調でその先の歩道橋を1段づつ登っていくではありませんか?!
5段程登ったところで、一度歩みが止まります。
もう無理しなくていいからと言いたい僕の思いとは反対に、また1段とゆっくりゆっくりと登って行きます。
胸が締め付けられます。
なんて、強いんだろう!
足を引きずったそのペースでは、絶対に次の地点の時間には間に合いませんが、
諦めることなく確実に1歩づつ進める姿に心を打たれ、気がつけば涙が流れていました。

急にさっきまでリタイヤしようと諦めてしまっていた自分が恥ずかしくなりました。
男のくせに情けない。ぼーぜんと時間が過ぎていきました。

また、しばらくすると、まだ後方に頑張って歩いていた人がいたようで、
二人組の女性が足を引きずりながらコンビニを横目に警備員の元へ歩いていきます。

もう無理しなくて良いよ。と優しい気持ちで見守っていましたが、この二人もなぜか指を指しています。
え っ!なんでなの?もう間に合わないから仕方ないじゃん。
なんで!僕思いとは反対にまた1段づつ歩道橋を登って行きます。

僕は若いころ頃野球で鍛え上げていましたが、いつの間にこんなに弱くなってしまったんだろう!
根性だけは誰にも負けないと自負していたはずなのに何やってるんだ。

ぼーぜんと過ぎ去る光景を見つめるだけでだった僕の重い腰がようやく持ち上がりました。
やってやる!足が壊れても、絶対に100k完歩してやる。じわじわと闘志が燃えてきました。

立ち上がると激痛が走りましたが、不思議なことに両手を強く握りしめると、
1歩また1歩と足を引きずらなくても歩くことが出来ます。おっしゃー!行くぞ!

もうここからは、ノンストップでがむしゃらに歩き続けました。
途中スタッフの方に時間がないから休まず頑張って!間に合うよ!と声をかけてもらい、
後押しされどしゃ降りの雨の中でも頑張ることが出来ました。
気がつけば蒲郡の街に朝日が。あと少しとなり周りの人を気遣う余裕も出てきました。
ここまで来たら行きましょう!痛そうに足を引きずって途中で止まってしまってる方々に声をかけながら、
何だか自分に酔いながらとても気持ちよく歩いていました。

そしてついに84k地点。なんと、30分も余裕をもって到着!やったー。
まだ、ゴールではありませんが、完歩した気になりました。
心身共に限界に達し、一度心も折れてしまった非常に辛い区間だっただけに、サイコーの気分でした。

峠を越えた後は、無理した反動でまたスローペースに戻ってしまいましたが、確実にゴールを目指し進むことができました。
ゴールでは嫁も娘も応援に駆けつけてくれ、また涙が流れそうに!
スタッフだけでなく、沿道の方々もおめでとう。と声をかけてくれ、色んな思いがつまった100k地点。
ゴール時にはこの言葉しかありません。「ありがとう!」

一緒に参加してくれた友達、応援してくれた方々、スタッフの皆さん、
そして何より参加者の皆さんの頑張る姿に心打たれ、奇跡的に完歩することが出来ました。
あの時、あの場所で、力強い女性の姿を見なければ、絶対に辿り着けず、
何も成し遂げずにただただ辛い思いのまま終わっていたに違いありません。
あの女性の強さに感動しました。
大人になり忘れてしまっていたものを思い出すことができた気がします。
本当にありがとうございました。



「人間は、目標を失うと弱い」それを実感した14回目の100km
ゼッケン番号:21

12回連続の100kmでもなんと昨年の7時間プラスのゴール しかも杖をついて!!
「人間は、目標を失うと弱い」それを実感した14回目の100km(熱田神宮⇒伊勢神宮が2回あるので)ウォーキングでした。

今年の目標は、昨年のAM4時27分ゴールを上回ることです。
いつものように40kmラグーナを超えるまで休憩なして一気に仲間3人と歩く。
この時点で17分遅れ!!でも異変は、30kmの幸田から腰が痛くなってきていた。
毎年痛くなるが80kmを過ぎた蒲郡市内です。

雨で冷えたのが影響していた??50kmを過ぎると少しずつペースが落ち70kmは
昨年の1時間半遅れの23:30この時点で目標達成不可能を悟った(でも約1400人中110番目通過)。

途端に腰の痛みが増し、真っすぐ歩けなくなった。
一緒に歩いていた森部さんと小野さんに先に行ってもらい目標を12回連続の完歩に切り替えて杉浦さんと歩く。
でも実質的な目標を失って冷たい雨のなか、腰が痛いなか歩く。
速度は、時速3km以下にまったく気力が湧かない。

結局残り30kmを12時間もかかってやっとのゴールでした。
一緒に歩いてくれた杉浦さんがいなかったらリタイアもあったかも??? いつもは、出迎える私が心配した仲間に出迎えてもらえるコールに!でも仲間の有り難さを実感しました。
今年の失速(プラス7時間)の原因は、二つ
①目標を失ったこと
②練習量が減っていること(最盛期は、毎日18000歩 今年13000歩)
来年は、AM4:00ゴールを目指して今日から練習を再開しました。
12年目にして大きな気づきを学ばせて頂いた七福スタッフの皆さんありがとうございます。

来年から第二の人生です。

高い目標が私の推進力と気づきまし た。
人生も高い目標を掲げて頑張ります。

また100kmも来年サポートでなく記録へ挑戦させていただきます。

祝!初100kmウォーク
ゼッケン番号:884

昨年、三河地区に勤める同級生が100kmウォークに挑戦した。
近場で、そんな魅力的なイベントが!
参加しないなんてもったいない、誰か一緒に出ようぜ?
シーン……
そうだわな、100km歩くとかありえんよね。

おし!1人で行くか、なんとかなるやろう…
雨だし、台風来るし、なんでー

100km歩けるかな………4km/時速、15分/km、25時間か?
まぁ当直みたいなもんか、普段走っとるで大丈夫やろ
と深く考えずに、22回三河湾チャリティ100km歩け歩け大会に参加した。
甘かった、コレは苦行だ、長すぎる。
足裏が痛すぎる、水ぶくれ。
雨でおねーさんらとツーショット撮れんし。

それでも、うれしく楽しいこともたくさん!
スタートの見送り、緊張してトイレ済ましてる間に奇跡の最終出発。
翌日にフルマラソンを控えての激励、差し入れ渡し忘れてたでしょ、
別れ際に雨で冷たくなった手と、頑張ってねと握手してくれたら、抱きしめそうになるわ。
熟女3人深夜に豊橋まで駆けつけてくれて激励、賑やかすぎです!コンビニ軒下でジャンプさせるなよ…。
ツラくて足取りも重い明け方、奥さんが駆けつけてくれた。早々に車へ荷物を預けてとても助かりました。
ピンクアフロ持参で、すっかりチームアフロの一員。
頼りになるカメラマン夫婦がゴール前に激励、もう余裕ありませんって言ってるのに、
防波堤に足かけてとか、ここにしゃがんで、とかキツイし!
LINEでたくさんのメッセージ、スタンプ、テーマ曲の動画なんてのも頂きました。
コッチが寂しくて、夜通しメッセージ流してゴメンよ、辛かったもんで…
1300人を越える参加者、参加者を支える家族や仲間、運営スタッフ、結構年配の警備、道中のコンビニ、
100km歩かせてくれたシューズ、防寒もしてくれたカッパ、暗いのやだから付けまったくライト。
どこかネットで見た言葉、1人で歩いているけど1人じゃない、本当にそう感じました。
また次回出ます?いえ今は考えたくありません…
関わってくれたみんな、ありがとうございました。

58才の挑戦!
ペンネーム ケロロ部長

なぜかその日、iPadを開けたら三河湾100kmのホームページがあったんです!全くの偶然に!

100kmにいつか出たいと思いながら、とても完走は無理と思っていたので、
以前にこの大会の事をきいたのを思い出し、早速申し込みました。

初めての100kmなので事前に靴、タイツなど準備をしたのですが、
4日前にアキレス腱の部分をスリ傷して靴が履けず、雨予報なのでサンダルでの参加を決意しました。

行けるとこまで普段の履き慣れた靴で、10km過ぎからサンダルに代えて、アピタ蒲郡でまた靴に戻しました。
しかし靴の防水の準備がなく、靴の中は直ぐに濡れて、45km過ぎに足の裏がめくれたのか?と思ってみると
腫れているだけで、安心して52kmポイントを目指しました。40→52kmは暗くて国道沿いで、精神的に辛いですね。

制限10分前に着き、スタッフから「 このペースなら休まずに、この先コンビニ4件あるので、そこで休んで下さい」と
併走しながらアドレスを頂き、もの凄く励みになりました!本当に感謝しています!

それまで13時間、コンビニのやり取り以外は誰とも会話してなかったので、言葉の力を感じました!

その後も何度か靴下を代えましたが、直ぐに濡れてしまい足はふやけたままで、
気付くと大きな水膨れがいくつも出来ていました。
足の裏も脚自体も痛いのですか、呼吸を整えて肘を曲げて腕を振ると脚は動くんです!
どんどん追い抜けてしまうんです!
これはゴールまで出来ました!

本当に足の裏と脚が痛くて辛いのですが、止める気持ちにはならず、少しでも前に行こうと言う持ちでした。
脳内モルヒネが出てるのでしょか?痛くなくなるんですよ。
信号で止まると再開時が痛くて!アキレス腱のスリ傷の痛みは全く感じません。
これの繰り返しでした。

帰路の70→83kmも深夜の豪雨の中に橋を渡り公園、国道沿いを行くのは精神力でした!

色々なことが思い出されます。それだけ充実していたのだろうと思います。

マラソンは肉体的にキツイですが、100kmウォークは精神的にキツイですね。


当初は三河湾を眺めながらのウォーキング三昧と考えてましたが、足の怪我と天候のお陰で、
予想を覆すサバイバルゲームとなり、大変貴重な経験となり、その意味で大満足でした!

これもそれも企画運営の七福醸造の皆様をはじめとし、この大会に関係した、参加した全ての皆様のお陰です!
すべての皆様と自分自身に感動・感激・感謝いたします!

本当にありがとうございました。

今後も本大会が末永く続き、沢山の人々が感動・感激・感謝できる事を祈念致します。



何が楽しくて
ペンネーム 管制の鈴木です

今年もまた申し込んでしまいました、100kmウオーキングを。
体中の筋肉が悲鳴を上げ、マメはつぶれ、足をひきずりながらヨレヨレになってゴールするかもしれないのに。

まだ一度も100kmウオーキングに参加したことのない、今この感想文を読んでいるそこのあなた、
何が楽しくてそんなイベントに参加するのかと思うでしょう。

でもね、ゴールで大ぜいのスタッフの人から「お疲れ様。」「おめでとう。」とねぎらいと祝福の拍手をいただき、
こみ上げそうな涙をぐっと抑え、「ありがとう。」と返礼のガッツポーズをする時の、
あの感激、あの達成感、一度やったらやめられないのです。

そして当日、21時間ほどのウオーキングのあと、やっとゴールである
みかわ温泉と書いた建物が見える所までやって来ました。ゴールはもうすぐそこです。

100km歩ける 
こんな丈夫な体に育ててくれた両親には感謝あるのみです。
今はもうオヤジやオフクロとも会うことは出来なくなってしまったけど、
私の100kmウオーキング、遠い空の上から二人で応援しててくれたかなあ、
私のがんばり見ててくれたかなあ、とそんなことを考えながら歩いて行きました。

ゴールでは またまたねぎらいと祝福の拍手、何度経験しても
思わず涙が出そうになる瞬間でもあります。

また、妻や会社の人もきてくれ、写真もいっぱい撮ってくれました。うれしい限りです。

会社の人達はスタートから沿道の所までも、応援にきてくれ、
元気百倍のパワーをいただきました。
また私の子供や二人の孫も応援にかけつけてくれ、これで気合十分です。

おかげで足取りはいっそう軽やかになりました。
特に今年は当社から12名もの参加があり、士気は最高潮です。
数年ほど前、個人的に一人だけで参加した頃とは雲泥の差です。

 
8か所あるチェックポイントでは到着すると大ぜいのスタッフの人達が拍手で迎えてくれ、
また出発する時は「がんばって。」と声援の拍手。これで100km歩けるのです。
そして、数ヶ月たってもその時の声援と激励の拍手を思い出すと、ほのぼのとした気分になり、
100kmウオーキング以外の事でもがんばれるんです。だから100kmウオーキングはやめられないのです。

こんなすばらしい、感動的なイベントを毎年開催してくれている七福醸造、味とこころの皆様、
また私達のウオーキングを支えてくれたスタッフの皆様ありがとうございました。

私のほうは、そろそろスタッフとして恩をお返ししなければならない時期ではありますが、
もう少しだけ歩かせて下さい。
最後は必ずスタッフをやることで恩返し致します。


50歳
ゼッケン番号:488

スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
今回、50歳を迎え、今までの生き方を振り返る意味で参加させてもらいました。
結果、完歩することができ、それも、ゴール時間、4時15分 驚きタイム。

確かに、完歩出来るようにいろいろやりました。
Web等により情報を探しました。

 a.自分に会う靴を探す(ソール)。軽い、蒸れない、→
  自分は常には、ウォーキングシューズを履いている(蒸れを感じていた)
 b.靴下5本指、靴下の履き替え→
  25キロごときに履き替え
  (足にまめが出来55キロ地点とぶれてしまったでも、雨で濡れた靴下を代えること大変いい気分展開となった。)
 c.雨のときはカッパを→
  自分は、汗をかくのを減らすために極力カッパは着ない。今回は、94.5キロポイントでカッパ着用。
 d.汗をかいて塩分不足対応カップルラーメンを→
  1度食べました。
 e.荷物は減らす→
  着替えの服を持って行ったが使うことはなかった。
  (自分としては汗で臭い状態で何時間もいやだと思い持っていたが、雨で思ったほど汗をかかなかったせいか。)
 f.痛め止め(イソジン)持参→
  家にあった痛み止めを持っていき、2度使用。
 g.事前に長距離を歩く→
  50キロを3度歩き、問題点洗い出し、次の時にその問題点を解決し、新な問題を洗い出し、
  本番までに問題をクリアしようと考えていたが、4回目を歩いたところ、足を捻ってしまい、3回しか出来なかった。
  でも、エアーサロンパスの必要性。暑さ水分補給について。後半の大変さを感じさせられた。


等々、今まで生きてきた経験で自分に合うものを判断し行った結果だと思います。
本当に、いい思い出と経験をさせていただきありがとうございました。



やれば出来る。有言実行!!
ゼッケン番号:602

100キロ大会の事は以前から聞いていたので初めて申し込みをしました。

周りの人からは、どうして出るの?、何がしたいの?、無理じゃないの?。すごいね。とか色々な意見を聞きました。

勿論、自分は何故?出るのと聞かれると出てみないと解からないからです。

色々な人から意味を聞かれるのですが意味を求めるのは間違っていると思いました。

意味を求めてしまうと結果により良かったとか悪かったとかの評価をしたりしてしまうと思うからです。

参加することに意味が有るという言葉とも少し違うとも思いました。

正直に理由は必要はなく、ただ100キロを歩く。

それだけで何が見えるのか?気付くのか?そして、歩いている間の自分にどう向き合っているのか?
そこが知りたかったと思います。

自分一人で100キロ歩けるか?を考えると歩けないと思います。

それはコースの間に沢山のサポートの方や応援してくださる方が居たから。

そして、一人ではなく、自分より先に歩いている人や後ろに居る人も
一緒に頑張っているんだと共有できる有難さが有るからです。

52キロを超えた辺りから仲間メンバーのリタイア情報が入ってくると心からお疲れ様でした・・・。
よく頑張りましたね・・・。辛かったでしょうね・・・。 
出てくる言葉に悪い言葉は出てきませんでした。

大会でサポートしてくれる人達も同じ想いだったと思います。

自分はコメントに”完歩します。”とつぶやきました。

その言葉は自分に向けていました。

やれば出来る!

その言葉を言い聞かせながら歩き続けました。

最後のチェックポイントにて2人のメンバーと出会いました。

そして、記念写真を撮った後、休む間もなく”行きますか?”と声をかけてもらえました。

その時も”着いたばかりで休ませてほしい”と思う気持ちは有りませんでした。

そして、3人で休みながらゴールを目指して歩いていました。

1人は腰痛でガードレールに手を支えながらゆっくりと歩き、
近くに落ちていた木の棒を拾ってきて支えながら歩いていきました。

ゴール手前の海岸沿いで完歩したメンバーが応援に来てくれました。

ゴールの所で大きな声で”お疲れ様でした~。よく頑張りましたね~。”
と声をかけてくれた時に終わったんだな~。と満たされた気持ちでいっぱいになりました。

解かった事は”有言実行、やれば出来る! サポートしてくれた人達に感謝”でした。

本当にありがたい経験をさせていただき感謝しています。

この経験は私の支えになり辛い時でも頑張る力になると思いました。

いつもありがとうございます。



スタッフの皆さんへ。感動をありがとう!
ペンネーム 55オヤジ

『スタッフの皆さんへ。・・・感動をありがとう!』

昨年に続き2度目の参加となります。

前回も、100キロは想像を絶する距離でしたが、
今回は、『その100キロ』+『雨』+『1年で7キロも増えた体重』との闘いでした。

まさに 『運動の三重苦』。それでも完歩できたのは・・・

『舞妓さんが履くポックリ』のごとき、厚底でフワフワのシューズと、
あらかじめ用意していおいた、休息(待機)時間用『全身銀色』の百均ポンチョ、そして・・・

なんと言っても、スタッフの皆さんの『献身的なご対応』と『温かい言葉がけ』と『明るい笑顔』 のお陰です!

こういうご対応が無ければ、はっきり言って、あの雨と疲労の中、完歩は不可能でした。
本当に、本当に、力(ちから)を頂きました。

 

私、2度目の参加にも関わらず、今回の、しかも後半になって、やっと気付いたのですが、

始めにおられたスタッフの方は、いくつか後のチェックポイントにおられる。
そして、しばらく行くと、また同じスタッフがおられる・・・・。
つまり、スタッフの皆さんは、限られた人数で、場所を移動しながら、私達が歩いている間、
ずーっと、サポートしてくれていたのでした。

それも、私を含め、多様なペースで歩く千数百人の歩者を
全てサポートしていてくれたのでした。

また、大会の準備、撤収に関わるスタッフの皆さんを含めると、
それこそ『想像を絶する時間と労力』であると思います。

感謝。感謝。感謝です。

そしてもう一度、心から

スタッフの皆さん!  感動をありがとう!!!